フィリピンでみた忘れられない2つの夢(一)

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ブログ「あさひエトセトラ」

フィリピンでみた忘れられない2つの夢(一)

2020/03/14

70歳になるとやはり昔のことが懐かしく思い出されるようになりました。今日は夢の話です。私は20代終わりから30代初めにかけて、フィリピンの首都マカティにあるホテルのフロントに日本人アシスタント・マネジャーとして派遣されました。JALのホテル関連会社がそのホテルと運営受託契約を結んでいたからです。まだマルコス政権の時で、治安は大変悪い時でした。赴任3年が過ぎ、一時帰国で日本に帰った時、喜多朗のシルクロードのテープを買って戻ってきました。妻はまだ戻ってきていないときです。あの独特のシンセイサイザーの音楽を聴きながら眠りにつきました。そのためか、深い眠りに入っていき、夜中に気がつくと、足元に日本人男性がスーと立っています。スーツを着ていて、顔はほの暗くぼんやりとしてはっきりとは見えません。足は2本ありますが、下の方までははっきりしていません。向こうから話しかけてきました。「私は事情があって自殺しました。しかし、死んだいまもつらく苦しくうかばれません。どうか、私を救ってください。どうかお願いします。救ってください」としきりに懇願して消えました。そこでハッと目が覚めました。時計を見ると3時少し前です。ああ、夢なのか、しかしいやな夢を見たなと思いながら、また眠りました。次に目覚めた時は朝の7時ですが、見た夢を鮮明に覚えています。困ったな、と思いました。その男性は自殺の理由も、場所も、名前も、住所なども一切伝えていません。それらが分かれば、お墓参りにでも行って、お坊さんを呼んで私なりに供養してあげることもできるのに、と思うばかりです。仕方がないので、ベッドの横にひざまずき、心の中の神さまに祈りました。「名前も住所も経緯も、何も分かりませんが、助けてくださいといわれました。どうか、彼を救ってください」。

 

気持ちが落ち着かず、その日上司の日本人ディレクターに夢の内容を聞いてもらいました。すると、少しは気が休まりましたが、心から離れることはありませんでした。それから約1ヶ月経った頃、日本から運ばれてくる新聞の1面をみて、瞬間、ああこれだ!と感じました。それはマニラ保険金殺人の記事で、顔写真もありました。1982年の時で、マニラ保険金殺人のことが初めて世に知られた時です。夢の中の顔はぼんやりしていて、新聞の写真を見ても断定はできませんが、スーツを着た真面目そうな感じは似ているようでした。事実関係は分かりませんし、違っているかもしれませんが、その時の私には、これは神さまが私の祈りに答えてくださったと思いました。彼は自殺したといっていましたが、殺されることを知りながら、それでよしとして殺されたのではないかと思いました。事件として世にでたことで、彼は救われたのではないかと考えました。早速、上司のところに新聞をもって走り、これが先日話した結果ですと、また話を聞いてもらいました。上司は黙ってきいていましたが、多分心の中では、こいつは変な奴だと思ったに違いありません。夢を見たのは事実ですが、この新聞記事と直結するのかは分かりませんが、その時の私にはそう思えてなりませんでした。そして、これを機に心を引っ張るようなことはなくなりました。その後1~2年にわたり、いろいろな手口のマニラ保険金殺人の話が芋づる的に世の中に知られるようになりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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