弘法大師空海と眞名井御前の純愛(二)

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ブログ「あさひエトセトラ」

弘法大師空海と眞名井御前の純愛(二)

2020/02/17

弘法大師空海が厳子(いずこ)に初めて出会ったのは、京の伝法寺六角堂で厳子が如意輪観音に帰依し修行している時、厳子10歳、空海は29歳年上。空海は、32歳で密教の第7祖・青龍寺の恵果和尚から伝法阿闍梨位の灌頂を受け、遍照金剛の灌頂名を与えられ、翌年33歳で帰国した。厳子に出会う1年前には嵯峨天皇のために鎮護国家の大祈祷を行っている。出会いの4年後には朝廷より高野山を賜る。空海の頭には、すでにこの頃から高野山に「魂と物質の循環としての生態系をつくる計画があったと思われる。「死後、人間は魂と肉体に分離する。この両者を循環させるために、空海は魂を昇天させる装置としての神社、そして肉体(物質)を土に還す装置としての寺を設ける」ためである。

 

空海は、伝法寺六角堂で如意輪観音の真言を唱えながら行に勤しむ少女厳子に、宿命的な出会いを感じとったことであろう。名門の子女であるからには、幼い頃より才色兼備、凛とした美しさが壮年になった空海の心を捉えて離さなかったであろう。

 

当時、丹後の国は中央氏族とは別系統の氏族(海人系)で、大君家后妃を差し出す氏族であった。それで厳子は20歳のとき、淳和天皇の第4妃として迎えられ、眞名井(まない)御前と呼ばれるようになった。しかし、如意輪観音への信仰が厚く、念願であった出家をするため、ひそかに宮中を抜け出し、かつての六角堂で修行をして、現在の西宮神社、廣田神社、そして甲山(かぶとやま)に入っていった。この時、空海の協力を仰ぎ、その後3年間、神呪寺(かんのうじ)で修行をおこなった。この間、淳和天皇から再三の呼び出しがあり、眞名井御前の心を知り尽くす空海は、眞名井御前を阿闍梨として寺の責任者にし、帝のこれ以上の呼び出しを遮ることにした。眞名井御前の阿闍梨即位に先立ち、空海は神呪寺の本尊として、山頂の巨大な桜の木を眞名井御前のそのままの大きさに刻んで、如意輪観音像を作ったといわれる。空海の眞名井御前への巨大な愛が刻み込まれた。この如意輪融通観音を本尊として、831年本堂は落慶し、その日、眞名井御前は弘法大師空海より剃髪を受けて、僧名を如意尼とした。この時、如意尼のそばを固めるように、二人の女性が一緒に出家した。和気清麻呂の孫娘で、如一と如円である。この時、空海は58歳。

 

空海、入定まであと4年。凡人の私が察するに、空海と如意尼との愛はこのとき最高に燃え上がり、空海は密教の奥義である「理趣経」の世界を、単なる文字の世界ではなく自らの心身で体得したと思われる。そして、如意尼は受胎する。弘法大師空海の入定、即身成仏はいつのころから頭にあったのかは不明であるが、如意尼の受胎を機に入定への道が定まっていったとも考えられる。仏教界からの怖ろしいまでの非難は容易に推測できるが、理趣経の奥義をもって己の仏道修行を完成させ、そして即身成仏で入定し今生を終える、空海のそんな言葉が聞こえてきそうです。またこの頃、空海は病を得て、大僧都を辞する旨上表するが、淳和天皇に留意されている。

 

832年8月、入滅まであと3年。高野山で初の万燈万華会が行われた。願文に「虚空盡(つ)き、衆生盡きなば、我が願いも盡きなん」と二元世界から一元世界(ワンネス)への強い願望を表している。この後、空海は穀物を絶ち、禅定の隠棲生活に入る。入滅まであと1年。東大寺真言院で「法華経」と「般若心経秘鍵」を講じる。年明けてすぐの1月8日より、宮中にて最後の「後七日御修法」を修す。こうした最後の在京の時か、または高野山へ病の身を引きずって帰る途中、あるいは高野山に戻って間もなく、如意尼が受胎したことを知ったと推測される。そして3月15日、弟子達に遺訓を与えた。如意尼が空海の子を身ごもったまま投身自殺した至急の知らせを受けたのかどうかは知り難いが、翌日の3月21日、空海は即身成仏の入定を果たす。享年62歳。「続日本後記」に、淳和天皇が高野山に下した院宣の中に空海の荼毘式を思わせる記述があること、弟子が中国青竜寺へ送った手紙に空海を荼毘に付したという記述があることから、史実としては空海は荼毘に付されたと考えるのが正しいでしょう。だからといって、空海は即身成仏ではないというのは間違いです。即身仏はミイラとして物理的な身体が仏になる意味であり、即身成仏は、真言密教では生きた人間が行を通して悟りを得、生きながらにして大日如来と結合して仏となること。ですから、空海は即身成仏で入定したのでした。

 

最後に、理趣経について。813年、天台宗の開祖最澄が空海に理趣経の解説本である「理趣釈経」の借覧を申し入れたが、密教の神髄は口伝による実践修行であり、写経、文章修行ではないという理由で拒否している。この理趣経で、「十七清浄句」といわれる17の句偈があり、その1番目は「男女交合の妙なる恍惚は、清浄なる菩薩の境地である」とある。その後男女の交合を肯定する句が続く。それゆえ、理趣経は色眼鏡で見られたり、誤解されやすいといわれます。しかし、仏教解説の第一人者である中村元氏は、「欲望を持ち、煩悩に悩まされている凡夫の暮らしのなかに、真理に生きる姿を認めようというのが『理趣経』の立場である」と解説されています。空海が一留学生として入唐した時の長安は、さまざまな文化・宗教が集まる大都会であり、景教(ネストリウス派キリスト教)の影響も受けているし、間違いなく密教を色鮮やかで生き生きとした教えとして学び入れたに違いない。そして眞名井御前を一人の生きる人間として愛したに違いない。

 

以上は、一人の凡人の勝手な理解と思いを綴ったまでで、弘法大師空海への畏敬に変わりはありません。最後に、文中多くの引用文を借用させていただきましたこと、感謝の意を付記いたします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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