波動を高めた瀧行の思い出(三)

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ブログ「あさひエトセトラ」

波動を高めた瀧行の思い出(三)

2020/01/12

瀧行を自分だけで始めた理由は二つ。当時占いを勉強していたので、霊感を多少なりとも獲得し、易占の的中率を高めること。そして、幼い頃から思い続けていた「人の病を癒す」能力を少しでも身につけることでした。占いの学校は2年で中退し、さっそく西銀座で街占を始めました。すべてが自由です。時間の使い方も自由です。そこで、毎月1回は蛇瀧で修行しようと決めました。4年ほど過ぎると、さすがに夏の瀧水もぬるく感じるようになり、大寒だけは必ず入瀧しようと思い始めはした。大寒に瀧に打たれるには、10月から水の冷たさに順次慣れていかなくては、心臓麻痺などの事故を起こしかねません。また、3月半ばになると、水の冷たさも緩んできます。たまには夏も入瀧しましたが、10月から大寒へ、そして3月末までは必ず修行するようにしました。

 

滝行を始めて5年目の12月、突然3泊4日、1日朝・昼・夕・真夜中4回の断食滝行修行を断行しようと決心しました。それまでも、1泊しての滝行は何度かしていましたが、断食してのそのような荒行は初めてでした。当時、堂守りで施設を管理していたおじいさんが一人いました。こんな山の中で、修行者の世話をしながら一人で生活しているせいか、喜怒哀楽の表情を一切顔に表さない方でした。予め3泊の予約をして12月中旬のある日到着すると、初めて心配そうな顔で迎えてくれました。2階の四畳半の部屋に行くと、冬なのでやぐらこたつがあり、その周りに荷物を広げました。行衣2着、下着6セット、バスタオル2枚、厚手のパジャマセット1つ、お茶のペットボトル6本。食べ物は一切なし。

 

いよいよ初日の昼の部から始まりました。次に夕方の部。真夜中の行のため、脱水をした行衣をこたつの中で乾かしたり、ドライヤーで乾かしたりで、時間の経つのがはやく感じられました。それでも、もちろんパリッとは乾くはずもなく、脱衣室で湿った行衣を着て、場内の掃除から始めるのでした。あちこち動き回るうちに、瀧の飛沫に行衣はすでにずぶ濡れで、震える体を堪えながら作業を進めます。真夜中、一人です。気合を振り起し、南無青龍大権現!と瀧に飛び込みます。そして、部屋に戻ってしばらくすると、場内で堂守りが甲高い音色で指笛を吹くのが聞こえてきます。ひょっとして玄関にあった、たまごを盛った2つの三方を瀧場に供え、ここの主たちを呼んでいるのではと、勝手に想像しゾクゾクしていました。

 

いよいよ3日目です。夕方の滝行を終え部屋に戻ると、入り口のふすまの前にかぼちゃを煮たものがどんぶりに入れて置かれていました。ああ、これは堂守りの差し入れだな、あの無表情の堂守りも粋なところがあるな、なんて思いながらそっと横にずらしておきました。まさか断食修行しているとは思わなかったのでしょう。そして、真夜中の行に行こうとふすまを開けると、そのかぼちゃのどんぶりは下がっていました。

 

最後の真夜中修行、体もかなり疲れていますが、気合を振り絞って瀧に入りました。一心に般若心経を唱えていて、はっと人の気配に気づきました。目を開けても誰も見えません。でも、私を取り囲んで5~6人の人がいるようです。さらに、言葉そのものは聞こえませんが、ざわざわとした雰囲気が感じとられます。ここの先達の霊人がいらっしゃっているのだと理解し、いっそう大きな声で般若心経を唱え続けました。次に気がつくと、もう人の気配はなく、流れ落ちる滝の水が激しく岩場を打ちつづける音のみが響いていました。

 

 

その後一年ほどして堂守り老人はいなくなり、宿泊の世話をする人もいないからと思いますが、宿泊は出来なくなりました。それ以降は、この3泊4日の出来事を思い出しながら、日帰りの瀧行をつづけた次第です。

 

 

 

 

 

 

 

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