円空さんの微笑仏に呼ばれました

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ブログ「あさひエトセトラ」

円空さんの微笑仏に呼ばれました

2019/12/01

一宮市から北へ橋を越えて行くと、そこは羽島市です。羽島は円空の誕生地として有名で、そこには中観音堂、羽島円空資料館があります。たまにその前を通ることがあります。円空のことは多少知っていたのですが、何故か入場料を払ってまで入ろうとは思いませんでした。ところが3カ月前のある日、その前を通りかかった時、急に今日は入らなければいけないという気持ちになりました。

 

入場料を払い中に入ると、笑顔の素晴らしい仏像に迎えられ、気持ちが少し高揚しました。円空さんの本物の仏像とのまじかでの対面でした。帰りがけに「円空の微笑仏(一)」なる写真集を買いました。表紙の仏像はこの観音堂にはなかったのですが、この最高に美しい微笑仏を時々見て、つい忘れがちな微笑み顔になろうと思ったからです。その後1カ月ほど本棚にありましたが、しばらくして、私の毎朝の祈りの空間に置き、礼拝しはじめました。笑顔がきれいな女性なので観音様とばかり思いこみ、観音様の真言で「オン・アロリキャ・ソワカ、笑顔ありがとうございます」などと唱えていました。そして、4日前の深夜、近いうちにお会いに行きたいなと思いながら、所蔵場所を本文中に探しましたが見当たりません。おかしいなと思い、印刷関係の情報がある表3ページに、それこそ小さな字で、「虚空蔵菩薩 149.6㎝ 関市洞戸 高賀神社蔵」とあるのを見つけました。そこで初めて観音様ではなく虚空蔵菩薩様であることが分かりました。

 

次の日の午後、別の仕事関係から、「明日の朝、関市洞戸まで行ってくれないか」というメールが来てビックリ。岐阜の山奥の洞戸なんてまず行かない場所です。即座に、あれっ!呼ばれた!と理解しました。翌朝、用事を済ませナビで早速高賀神社の円空資料館に行きました。案内係の年配の女性の説明を聞きながら進んで行くと、その虚空蔵菩薩様はほぼ中央にいらっしゃいました。手を合わせ、小声で、「呼んでいただきありがとうございます。お会いに来ました!」と申し上げると、微笑みがいっそう輝いて見えました。

 

順路の終わりに来て、係の方が「これは円空さん還暦の時に作られ、そのまま最後の作品になった歓喜天さまです。台座には64歳で即身仏として入定することが書かれています。」と教えていただきました。そこで思ったことは、何故最後の作品が男女合体の聖天さまなのか、ということです。係の方に尋ねてみました。「男女のまことの愛こそこの世で一番美しく尊いもの、そのままで仏さまなのです、と歓喜天を通しての最後のメッセージなのではないでしょうか」

 

クルマに戻りエンジンをかけた時、ハッと気がつきました。あれ、虚空蔵菩薩は寅年の守り本尊ではないか。私は寅年ではないか!つまり観音様でなく、虚空蔵菩薩様に導かれたということだったのか。帰り道、生涯で12万体もの仏像を彫り、最後は即身仏となり入定した円空さんの仏道への情熱に想いをはせつつ、通り抜ける紅葉の山々は涙目に映えていました。

 

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